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フンコロガシと家三代の興亡~祖父母、父母、あなたは誰一人同じ人生を歩まない~

資本主義

フンコロガシと家三代の興亡~祖父母、父母、あなたは誰一人同じ人生を歩まない~3
資本主義経済は自由競争により利益を追求して、経済活動を行えば、社会全体の利益も増大していくという考え方に立脚しています。
その実体構造は、生産手段を資本として私有する資本家が、労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造です。

その構造を八百屋さんで例えてみましょう。
八百屋さんは農家から人参を1本50円で100個仕入れました。
そしてその人参を1本100円で売ります。
すべて完売ができたら、八百屋さんは5000円の儲けとなります。

 資本主義経済は一つの説として、「商品交換」「賃金労働」「私有財産」の組み合わせで成り立っていると言われています。

「商品交換」とは「商品」が使用価値を持っていて、他の商品と交換できる交換価値を持つ。つまり、価値の重要性があげられます。
次の「賃金労働」は、商品の価値は投じられた労働で決まるという理論です。
また、どれだけの労働が費やされたかでその物の価値が決定します(労働価値説)。
さらに、様々な商品が交換されていく中で、金(ゴールド)が共通する商品となりました。これが貨幣です。

最後の「私有財産」は、財産を使って得られる利益はすべて所有者のものになります。
すると資本が集中したところに独占が生じてしまいます。ここに資本主義の矛盾や弊害もあって、不況による失業や貧富の差の拡大がおきてきます。

一方で、共産主義の考えという資本主義に対抗する平等思想が出てきました。
しかしながら、現時点で実体的に共産主義のみで成功している国がないことをみれば、弊害もある資本主義が一番人間の本質に則しているという考えも出てきます。
本質とはエゴイズム=欲望の過不足です。

今の家三代の興亡

フンコロガシと家三代の興亡~祖父母、父母、あなたは誰一人同じ人生を歩まない~2
その本質は樹門流占いの考えの『家三代の興亡(いえさんだいのこうぼう)』という法則にあてはまります。
簡潔にいえば、欲望があるゆえに栄え、欲望があるゆえに衰退するという、人の“本質”が巻き起こす世の仕組みといえます。

まず、運勢は遺伝でなっていることがあげられます。
「運勢」は感情が遺伝することで伝わります。
運勢の原因は祖父母や父母の遺伝がもとになって、孫である本人の頭脳や性格をつくり、それが「運勢」になります。

そして、どんなに栄えた家もいずれ衰退を迎え、また栄えるを繰り返します。また繁栄して衰退し、そのまま子孫が絶えてその家自体が続かなくなることもあります。
その興亡の見極めは、名前が持つ「運勢」に隠されています。

『家三代の興亡』のメカニズムは人間のエゴイズムが正体です。
栄えるとエゴを貫きます。
すると、その反動からエゴを貫かれる代が出てきます。このエゴイズムの抑揚は祖父母、父母、孫の三代を周期にしてくり返されます。
つまりは先祖が欲望を満たすと、子孫は欲望を満たせない側に回ります。逆に先祖の欲望が満ち足りない人生を送ると、孫は欲望を満たす人生となります。

三世代、三代間の欲望の取り分(プラス・マイナス)はまるで決まっているがごとくで、各々の家系の中でどのポジションにいるのかは、名前を姓名判断することでわかります。

人によって、仕事の出来不出来があります。
たとえば、おじいさまはものすごく仕事が出来た。
お父さまは並の仕事ができた。
しかし、孫は仕事ができない。

一方で、孫は仕事が超絶にできる。
父母は仕事がまあまあできた。
おじいさんは仕事もせずにあそびほうけてばかりだった。

たとえ血がつながった一親等や二親等の肉親であっても、同じような質を持った人間はいません。いや、同じような人が出ないようになっているのが『家三代の興亡』の仕組み、遺伝の仕組みというわけです。

では何故同じような人生を送る人が出ないのでしょうか。
それはさきほども出た、人間の本質に答えが隠されています。

その家の中の欲望には限界があるというのが、しっくりきます。

祖父母、父母、子の三代の中に欲望の臨界点がある。
その際(きわ)に達すると異なるステージに立つ。
このようなイメージを漠然と思い描いてください。

満喫した人生を送りエゴイズムを行使できた時点で、次の父母や子ではステージがガラリと変わるのです。
わがままができた人生、いわばプラスのステージにおじいさんがいたしたら、そこを境界にして子や孫がいるステージはマイナスへと変わっていきます。

昔の家三代の興亡

明治以前の日本、つまり江戸時代の財産は私有されてはいるものの、幕府などの行政による拘束が強く、封建主義で政権側にいる、お上(将軍や大名)が至上となる統治体制です。私有財産は時に強権的に幕府の共有財産になりかねませんでした。
そこでとなりますが、江戸期の家三代の興亡の例として、世代間の比較対象でわかりやすいのは、能力の違いかもしれません。

江戸期の職業は世襲性です。
ですから、その家の当主が保守的であれば、お上に目を付けられることなく、武士であれば俸禄(給料)をもらえます。

ところが、当主の素行が悪いと親類が家を存続させるために、勘当して家を追い出すなどをして家名を守るということが行われました。
大名も素行が悪いと家老などの重臣たちが協議して、幕府に届出をして、「主君押し込め」というのもありました。家臣が藩主を変えてお国の存続を狙うのです。

『家三代の興亡』を徳川将軍家にあてはめるとわかりやすいものです。
初代将軍の徳川家康、二代将軍秀忠、三代将軍家光です。
初代の家康が幕府をつくり、秀忠が体制を固めて、家光が引き継ぐ。

また実際にはその裏で、寿命も『家三代の興亡』が根を下ろしています。
家康(75)、秀忠(54)、家光(48)、カッコは没年齢ですが、初代は寿命までも長くなるのです。

そして、資本主義経済が導入された明治以降、お金の財産をフィルターに『家三代の興亡』が見えやすくなってきます。
初代が巨万の富を稼ぎ、二代目はその財が徐々に目減りします。そして三代目ではいよいよ財産は無くなり、洒落た書体で「空家」と書いて家を明け渡すような幕引きです。

フンコロガシと『家三代の興亡』

フンコロガシと家三代の興亡~祖父母、父母、あなたは誰一人同じ人生を歩まない~1
最後に『家三代の興亡』を昆虫に置き換えてみましょう。
動物のフンを食料とするフンコロガシ。
そのフンコロガシがつくるフンのすべてが、丸い玉(フン)をつくれるわけがないことはご存じでしょうか。いびつな形のフンを作るフンコロガシもいるのです。

そもそもフンコロガシは動物のフンを巣穴に糞を運び込み、それをオスとメスできれいに丸め、そのなかに卵を産みます。そして幼虫はそのフンを食べて成長します。

丸い玉のフンをつくらないフンコロガシはどうなるでしょう。
フンは丸い方が正確に失敗なく自分の巣に運びやすいものです。
だけれど、丸いフンの玉でなかった場合は食事運びに手こずります。または移動時間がかかるため、巣穴への道中にほかのフンコロガシに取られやすくなるかもしれません。

(フンコロガシの世界はフンが丸くても略奪される危険があります。)

丸いフンといびつなフンのフンコロガシの間に、生き残りをかけた弱肉強食の世界が見えるのです。初代のフンコロガシはフン作りの名人。そして三代目のフンコロガシはフン作りが苦手というストーリーです。
ひょっとしてここにも、『家三代の興亡』の原理が働いているのかもしれません。

さてさて、初代の人生、二代目の人生、三代目の人生。人生いろいろです。
脈々と血がつながっている親や、そして子どもでもみんな違う生き様ですし、違う人生になります。
「その理由は何か。」そこには運勢が眠っているのです。

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