姓名判断の魂ゆら占い

同じ運勢の人、我が家にはいられません・・・

いつかは離れる定め・・・

同じ運勢の人、我が家にはいられません・・・1
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樹門流占い師の二代目樹門幸宰です。

「同じ運勢(ひと) いつかは家に いられまじ」
意味は、同じ家に同じ運勢(人)がいると、
いつかは一緒には居られない状態になるということです。

この意味をもっと丁寧に説明をしなければいけませんね。
名前からみた運勢が、もしも同じ運勢の人が家の中に二人でも揃っていた場合、
同じ家の、自分もしくはもう一人が、その家に居ることができなくなります。

それがたとえ仲の良い兄妹、または仲の良い親子であっても、
一緒にいる期間が短いというのが、さも宿命のようにして、その現実を生みやすくします。
“運勢的”には敵対する関係性となります。

構図としては、
「あなたと家族の誰か、どちらかが不利・有利な人生を送る…」。
家族の“名前”を見た時に、家族構成によってはそのように判断する時があります。

不利な人生とは、
ひとつの例としては、頭を押さえられ身動きが取れなくなる。
もうひとつは、思い通りには行かない、意志を通すことができなくなる。
厳しくいうと、もう一人同じ運勢の人と比較をして、
劣勢な人生を送るという意味です。

あなたと家族の誰かが、全く同じ画数で構成される名前であった時に、
そのような鑑定にいたることもあります。

同じ画数・運勢を『同名同運』という名称で統一します。
『同名同運』は家族皆さまの名前を鑑定してはじめて認識できるものです。

「同名同運」がいると

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家族の中でまったく同じ画数は、
同じ人生模様・運勢になるので避けるべき名付けとなります。

家族の中で、同じ画数の人が存在すると、
そのうちのどちらかの人生は下火になるか、
人生自体が不本意のまま道を閉ざされるなど
不発の人生にもなりかねません。
生涯を振り返った時に「人生は美しい!」と
感嘆できるような、生きる上であなたが持つべき
運勢の“うま味”が得られにくいと考えます。

『同名同運』の兄弟(兄妹)に焦点をあてて話をすすめます。
そもそも運勢を知ることはとても重要なことです。
なぜなら、兄と弟が同名同運であった時に、
セオリーとしては兄が優勢な人生であったのなら、
弟は不遇な人生を送ることになります。
逆もありえるわけで、果たしてその答えは、
フタを開けて初めて分かるところがあります。
名前にはその人の運、運勢が刻まれています。

磁石はS極とN極は結びつきますが、同じ極は反発しますよね。
これと同じ状況が、家の中で運勢が同じ人がいると反発しあうようになります。

まるで磁石でいう、S極とS極やN極とN極のように反発しあいます。
それも反発だけならまだマシで、
一方は人生の理不尽さ、恨みつらみ、悲しみ。
そして苦労が多いなど、必ずどの人にもある
運勢の良いところを取り損ねてしまいます。

それが一番問題で、いわゆる幸せが体感、
実感できない可能性が高まります。
実際には仲の良いままに自然と離れていく、
あからさまに不和・対立をして離れていくこともあります。
同運同名の人たちを何人も観てまいりましたし、
体感ではその数はものすごく多いです。
同名同運は時に残酷さをも生むので、
注意が必要な運勢の一つといえるでしょう。

偶然は必然

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父と長男が同じ運勢、同名同運だとします。
兄と妹のように性別に違いがあっても、
先に説明の通り、人生のうまみの奪い合いは生まれます。
兄と弟、姉と妹や、兄と妹、姉と弟でも、
同名同運であれば優劣が生まれます。
そして親と子であっても同名同運の定めは等しくあります。

次のような偶然は実際には多いです。
兄妹や親子が全くの偶然に同じ運勢になる場合です。

例として、わが子に自分と似た漢字を名づける、通字のパターンです。
父が「健太郎」で、健康の“康”と長男の代名詞の太郎をそろえて、
子に「康太郎」とつける。
なお、「健」と「康」にて同じ画数となるので、
姓名の結果から全く同じ漢字画数になるので
父と息子は全く同じ運勢(同名同運)となります。

 次に、姉妹で漢字を一つだけ揃えようとする場合です。
姉が「京香」。次も女の子が生まれたから、
妹にも一文字だけ漢字を揃えようとして、
妹に「和香」とつけたとします。
この場合も姉妹で全く同じ画数ゆえに、
同名同運になり、運勢に優劣が生まれてしまいます。

さらにいうと、広く普及する一つの姓名判断法を採用した時に、
結果的に全く同じ運勢になる場合があります。
例えば、姓と名の総画数を「41画」で良いのだとすれば、
姓は同じなので、名前で調整するようになります。
その結果で同じ運勢というケースが出てくることがあります。
兄は「征也」、妹が「奈子」であれば、
実はこれも同じ漢字画数になり、
名字が同じなので全く同じ運勢になります。

以上を踏まえてあなたに質問です。
兄弟の画数が同じ同名同運なら
性格が全く同じになると思いますか?
その答えは不可思議です。

実態は違って、性格が異なるか、
まったくことなるように見えるのが常態といえます。

実の親の感想は、「同じ兄弟でもこんなにも違うんだね」とか、
「それぞれ視点が違って面白い」などがおおむねの感想で、
おそらく先の質問の想定を裏切り、
性格的に似た兄弟姉妹とはいきません。

しかしながら、実際には同じ運勢なので、
同じ思考性、同じ使命、目標、指針を持ち合わせています。
なによりも『魂の遺伝』といって、同じ祖父母、
同じ父母からの人生の目的を無自覚的にして、
鮮烈なほどにその目的を叶えようと切磋琢磨して人生を歩みます。

では果たしてどんな違いがあるのかを、
次の例にてご理解ください。

北海道在住の井上太郎(A)さんと
沖縄県在住の井上太郎(B)さんがいたとします。
以後、敬称略。

「井上太郎」の運勢の本質は、
努力家で相手を打ち負かしてでも負けず嫌い、
白黒をはっきり決める。
目的に向かってひたすら突き進む要素を持っています。
合理的な頭脳の持ち主です。

北海道在住の井上太郎(A)は、目的をもって
ひたすら前に進んで勝ち続けて、
いつもストレスを抱えながらも苦しめられながら、
それでも目的は叶え続けました。
 一方、沖縄県在住の井上太郎(B)は、
目的をもって人生を歩みましたが時に努力をおこたり、
必然、結果は中途半端に終わることも多く、
時にあきらめることもあったので挫折の多い人生でありました。

この違いはなんなのかといえば、
与えられた試練を成長の糧として忍耐し
必死で自分を磨いた者と、
忍耐も努力もせずただ生きた者の差だといえるでしょう。
二人は運命に対する取り組み方が違うといえるのです。

このように同じ名前で同じ運勢を持っていたとしても、
紙一重のところで全く違うコースを辿り、
結果に大きな差が出ることがあります。

これらの現象が同名同運の兄弟姉妹間で
ハッキリ個性になってまるで違う運勢のように見えてきます。
先の「井上太郎」のお話にたとえると
目的への叶え方はまったく異なるゆえに、
頭脳の鍛え方も結果的にことなってきはじめます。
その差は時間が経つと歴然として、
まったく違う性格・性質のようにみえるのです。

結論

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同じような運勢、名付けがおこる
理由・誕生する因果は遺伝でおこります。
この姓名判断のすべての運勢は理由があっての結果となります。

祖父母の時代にマイナスの出来事があれば、
その孫は有利な人生を送れるかもしれませんが、
祖父母の時にプラスの出来事があった。
具体例にして当事者がワガママしたのであれば、
その孫は多少のワガママもできずに不利な人生を送らなければいけません。

ここに『同名同運』の人たちには出生順位という
重き真実が優劣の差を生むことになるわけですが、
それは『同名同運』の人たちからすれば預かり知らぬ話ではあります。
が、そのように運勢が伝わる以上はそこに不都合な内容は出てきます。

その不都合さは、理不尽な現実にいたることがあるのですが、
この占いではそれを受け止めて前に進む道を直接鑑定では提示します。
視点を未来思考にして、この先を現実的に
変えることが重要になるのではないでしょうか。


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