姓名判断の魂ゆら占い

自分が一番“まとも”だと思う

主観の世界

自分が一番“まとも”だと思う1
「自分は他人の人生を経験できません。」
当たり前のことですが少し突き詰めてみましょう。
この世に生を受けて、自分自身が育った家庭環境を元手に、やがて社会でもまれていくことになります。
もまれながら他者と比較をして磨かれ固定概念が形成されていきます。そして年月を掛けて個性は出来上がっていきます。

また、自分が人生の主人公であるがゆえ、経験値や形成された個性(個性の再利用)に依存して生きます。
個性は強みであると同時に、自分の経験値・価値観を自らは超えることはできないので弱みにもつながります。いわばそれが限界にもなります。

それぞれの人生は全く違いますが、個性が織りなす人生の概要を運勢と言い、その運勢は樹門流姓名判断では多くのパターンに分類することができます。さらに、それをパターン化したのが運勢型という概念です。

自分が人生の主人公であるため、自分の考え方が一つの大きな基準点になります。
そして言動や人間性を軸とした場合、誰もが自分を概ね“まとも”と思っているはずです。

自分が一番普通の人で、普通の価値観を持っていて、まわりからどんなに変人のように見られても自分はマシだと思っている。言動が極端だと思われていても、そのやり方が普通だと思っている、となるわけです。

その“まとも”さが自分と周りとの間で大きく隔たりがある運勢を一部紹介します。
二つの運勢型、オール同数型(別称:E型)と表十字型(別称:F型)です。

オール同数型(別称:E型)

「E型」という運勢は、女系でつながってきた家系の中で、本人は家がつながるかどうかの瀬戸際の時に誕生します。
一度興味をもったものには、何日も何ヶ月と寝ずにでも問題を解き続けるような、驚異の集中力があります。

運勢のサブタイトルは「天才か狂人運」と呼ばれ、天才か狂人の紙一重の生き様を示します。
ある時は驚異の遂行力をもって、ある時はズバ抜けた感性で問題を解決する。ある時は極端に執着してとらえて放さず、またある時は驚嘆な行動力で周囲の度肝を抜きます。
まるでその様は神出鬼没に入れ替わり立ち代わるように、強烈鮮烈の印象を第三者に与えます。

人よりも100歩先に進んでいることもあれば、人よりも100歩後退していることがあり、なかなか人と歩調を合わせることができません。本人ですら自分に疲弊することもありますが、それでもやはり自分が基準であることには変わりありません。

表十字型(別称:F型)

「F型」は特に“まとも”さにおいて、自分と世間との間に大きなギャップがあります。
思考は常に最善をねらいます。その過程ではクルクルと風見鶏のようにその思いが揺れまわります。
一般的に、一度決定をしたものを“くつがえす”パワーは計り知れないほどの力が必要です。「F型」はこれまでの信用信頼を失おうとも、自分の最善と思う再決断することもあります。

運勢傾向として、すべてを対象に定置(STAY)させないところがあります。
思考や行動において変り種的に個性が強い人です。
ですが、それはあくまで他人の評価であって、自分自身は「この世で一番まともだ」との思いが強い人です。

ともあれ、基本的には自分が標準点であるというのはみなの事実です。
その中でも“自分を一番まとも”を例に先の二つの運勢をピックアップしました。

極端な例では凶悪な犯罪者も自分が正しいと、罪の意識はありながらも正当性を免罪符にする犯罪者もいるかもしれません。なぜなら自分が世界の中心にいるからです。
免罪符へと誘導する感情は正義感からの義憤であったり、プライド、自尊心を盾にして、自分をラッピングするのです。(「自分がその立場にさらされたら」という感情の論理性は欠如していますが・・・)

客観できる世界

自分が一番“まとも”だと思う2
話は飛躍しますが、もし皆さんがこの占術を学ぶことが出来たなら・・・。
この占いを知ることによって、自分はまともと思う主観的な考えに、新たに客観性の世界を加わることができると信じています。
なぜなら、自分と他人の運勢から、道理を知ることができるからです。
「人の運勢には因果関係があり、因果の果てに能力、性格、人生の目的、生き様、それが相性をも呼び起こし、未来につながる。」
これらのことが人の名前をもって分析(姓名判断)できるようになります。

つまり、客観性から主観を見出だし、自分が家系の中でどの位置に存在をするのか。自分と他人、社会の中で人の運勢を俯瞰できるようになり、自分の特徴が浮き彫りになってくるのです。

自分が一番“まとも”だと思う3
この占術の答えは、特に50代とか60代と年配の方に響きやすいかもしれません。
なぜなら、この占術の答えである結果が現実になっていくのがその年代だからです。
例えば、ある運勢は50代以降に夫婦関係の愛情が無くなっていく傾向があります。
しかし、仮にその運勢を持つ10代とか20代の若い年代には、まだ遠い未来であるために響きにくいのです。

「自分は主人公だからそうなるはずがない」と主観で生き続けることは、現実に起りうる“未来予測”の感覚をどうしても希薄にさせるのです。
運勢が良い、という豊かな現実もあれば、不幸の現実もある。それはともにおこることです。
幸・不幸の人生を過ごす本人もみな“まとも”だと思っているはずですが、結末はみな一様に異なります。“まとも”の中に個性および運勢は眠っているのです。

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