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連載コラム:名前はこう解く!

樹門幸宰が様々な事件や著名人を姓名学的な見地から解説する連載コラムです。

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No.08 明智光秀 の解説と鑑定結果

基礎運
生数 和数
隔離型 縦系 二差 隔離型 縦系 一差
影響運
生数 和数

<後行運> 意図実行運

行-後

<総愛型> 養子継承運

愛-総

<総行型> 行動強烈運

総-行

<能性型> 剛毅チャレンジ運

能-性

魂の出生順位:4子魂 3男相

「明智光秀」樹門幸宰による解説

この占いは因果応報について語っていますが、宗教とは何ら関係がありません。

「本能寺の変」で主君である織田信長を自害に追い込んだ人物として歴史に名を残す明智光秀。が、その事実以外は不明な点が多く、なぜ彼が事に及んだのか、確固たる原因や理由はわかっていません。生年不詳、父とされる人物の名も3人もあがっています。
本能寺の変から11日後に山崎での羽柴(豊臣)秀吉との戦いに敗れ、小栗栖で土民に殺された、とされていますが、実は生きており、南光坊天海という僧になったという説まであります。
では、明智光秀という人物を「魂ゆら占い」で解いてみましょう。

戦国時代を終結へと導いた織田信長を本能寺での自害へと追い詰めた明智光秀の基礎運(ベース運)は和数「隔離型(タテ系)一差」生数「隔離型(タテ系)二差」です。第四子魂の次男相、婦(おんな)の系譜の二代目で50歳代から斜陽し、子供が絶家代と、先日お話しした経済学者と同じです。
干渉や束縛を嫌い、理想やロマンを追い求めるという運勢型である事もお話ししました。信長は光秀を知将として評価していたとする史実がある反面、俗説として伝えられているのは光秀の人格を無視した言動ばかりです。プライドが高く、自分の行動や信念を否定されると相手が誰であろうと反発する人ですから、「暴君」であった信長に対しては常々不満を持っており、仕えながらも「今に見ていろ」という思いがあったのではないでしょうか。

この運勢型の根底には謀反、反逆、革命、異端といった要素があり、そこに好奇心とクリエイティブな頭脳が加わり、時代の流れを変える事も可能であるといえます。時代の変遷期には必ず登場し、新しい秩序を作り上げるか、行動が裏目に出て悲運に泣くか両極端な結果となっています。源頼朝、足利尊氏、徳川家康の3人(3幕府の統領、共に生数が隔離型)を「新しい秩序を作り上げた人物」の代表として挙げましょう。「悲運に泣いた人物」としては赤穂四十七士の統領である大石良雄(和数が隔離型)、光秀と同じく信長に対して謀反を起こし、所有していた平蜘蛛茶釜が信長の手に渡る事を拒んでこれと共に爆死した松永久秀(和数・生数共に隔離型)がいます。
余談になりますが、権力者に対して反旗をひるがえした人物は少なくはありません。信長に対して謀反を起こすも逃げ延び、信長の死後は茶人として復帰した荒木村重、主君・大内義隆を自害に追い込み、毛利元就の反攻を受け自害した陶 晴賢。彼らの運勢型についてはまた別の機会にお話ししましょう。

光秀の家臣に対しての心遣いは他の武将にはないもので、それが彼への強い忠誠心に繋がったとされています。本能寺の変では家臣達は皆、光秀に従い、その後の山崎の戦いでも劣勢にもかかわらず奮戦したそうです。また、善政を布いたといわれ、その遺徳を偲ぶ地域が多くあります。彼は「偉くなりたい」「世間に認められたい」という自己主張に行動、能力が伴った人物だったのでしょう。

総行型(行動強烈運)は生涯を支配する影響運で、生涯を行動で開くという意味があり、人格がそのまま行動となって現れます。ストレートな行動性と果敢な行動力で善くすると窮余の一策で打開策がとられます。が、見方を変えれば性急で大胆な人であるわけですから、感情の激怒や強引さを抑えなければひどい結果を招く事になります。また、この型は他の影響運に大きく作用します。
光秀の姓名はこの総行型に後行型(意図実行型)が絡みます。人生を効果的に生きようと、計画を立ててその通りに実行しようとするのがこの型を持つ人です。本質的な意味合いは27歳以降に強烈な行動を起こして人生をわがものにするというものですが、立ち向かいが激しすぎて危険を犯すという意味もあり電光石化型の運勢表示となります。また、基礎運(ベース運)が意外性を突く隔離型ですから良い結果は期待できません。
困難を承知であえて火中に身を投じる能性型(剛毅チャレンジ運)は母方の祖母と母が屈辱を受けながら生きたという因縁があります。チャレンジ精神旺盛で、やらねばならぬ、成さねばならぬという傾向の強い人です。「9と9」で構成されている為、本人の事故死や子孫継承性に問題ありとみる事ができます。

寝静まって無防備な、守り数百人という本能寺を1万3000もの兵で襲い、目的を遂げた光秀。しかし、その後の事に対しては考えが甘かったようです。近年は好意的な意見もありますが、当時は単なる「卑怯な謀反人」だったのでしょう。自分の家臣以外からの支持や協力を得る事はできませんでした。縁戚からでさえ離反されたのです。そして、先に述べた山崎の戦いで羽柴軍に敗れ、最後は落ち武者狩りの土民に討たれました。「本能寺の変」から僅か10日あまり。極めて短い期間しか権力や地位を保てない事を「三日天下」と言いますが、これはこの出来事から来た言葉です。

干渉や束縛を嫌う「隔離型」の光秀と完璧主義で支配的な「タテ型」の信長はライバル運であり、根本的に合うはずがありません。「隔離型」からすれば自分だけが正しいと思い込んでいる「タテ型」が鼻持ちならず、「タテ型」からすれば自分の信念を否定する「隔離型」が我慢できなくなるのです。
「本能寺の変」の原因については自分が天下を取りたかった、朝廷から命を受けた、他に黒幕がいた、信長に対する恐怖心からであると様々な説があります。
経緯ははっきりせずとも、結果は出ています。
感情DNAのぶつかり合いが双方を破滅へと追い込んだといえるのではないでしょうか。

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