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連載コラム:名前はこう解く!

樹門幸宰が様々な事件や著名人を姓名学的な見地から解説する連載コラムです。

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No.02 徳川家康幼名「松平竹千代」の解説と鑑定結果

基礎運
生数 和数
中順序型 上下系 一差 中順序型 上下系 一差
影響運
生数 和数

<前後型> 行き詰まり運

上-愛,先-下,前-後

<能性型> 剛毅チャレンジ運

能-性

<前後型> 行き詰まり運

上-愛,先-下,前-後

<後半一落ち型> 混濁混迷慟哭運

後=1

<受セ型> 流転豹変運

下-受

<受先型> 七難八苦運

先-受

魂の出生順位:末子魂 三男相

「松平竹千代」樹門幸宰による解説


この占いは因果応報について語っていますが、宗教とは何ら関係がありません。

秋田連続児童殺人事件の容疑者の女性と、同じ運勢型を持つ人物をご紹介しましょう。

波乱万丈な人生の半生ながら、それを見事乗り越えた末に大成功を収める事ができた徳川家康の運勢型は和数・中二差型、生数・隔離型(斜め系の二差)でした。これは現代での「東京大学」という校名と一緒で、奇しき縁での事(めぐりあい)で改名によって人生を完結できました。

家康の幼名は「松平竹千代」といいます。この名前の基礎運(ベース運)は和数・生数共に「中順序型(上下系)」で、秋田児童殺人事件の容疑者の女性と同じで、違うところは家康は三男、彼女は四女と出生順位だけです。(また、家康は男性ですので母方の祖母・お富からの隔世遺伝でみるところです)
生まれた時には松平竹千代、14歳で松平元信、17歳で松平元康、22歳で松平家康、その後の25歳の時に朝廷から徳川姓を賜って徳川家康を名乗ることとなりましたが、“姓名の暗号”で解きますと、都合6回も名前が変わっても不思議とどの名前も三男相の名前となっています。

家康は幼少時(松平竹千代の時)に織田家、今川家の人質に出されました。これは「祖母の代で捨て子をした因縁を孫の代が清算しなければいけない」という因果応報そのものであったのです。大名家の跡取りは1人いればいいわけですから、「捨て子」が当たり前だったのかもしれません。したがって、孫である家康(竹千代)は好むと好まざるにかかわらず「捨てられた子」の境涯となり、大変つらい思いをしました。

また、これは専門用語で恐縮ですが “姓名の暗号”でいう「系垂(けいすい)の法則」というのがあって、事実を史実から拾うと、祖母のお富、母の於大も出生順位は共に三女相で、艱難辛苦の人生であったからこそ家康の代が訪れて、家を興したのです。それは三女の困難な魂が二代続くと、今度は男の子の三男で立つという仕組みです。(兄弟・姉妹がたくさんいても長男(長女)が困難なら三代後の長男(長女)、次男(次女)なら二男(二女)の家が栄える法則です)
ちなみに家康の妻・築山殿(瀬名姫)も三女です。「三男は三女」と結婚し、三男(三女)の子供へと繋がっていく宿命で、これを本物の種族保存本能といいます。 従って二代将軍の秀忠も三男(兄2人・長男の信康(自害)、次男の秀康(結城家へ養子)、また、妻のお江は浅井長政の三女(姉・二人の長姉お茶々、次姉お初)、さらに続く三代将軍・家光も三男(史実は二男)と続き、家康から秀忠、家光と三男相の代が三代続いて幕を引きます。
また、この中順序型(上下系)は本来、末っ子・養子相であるべきもので、それが長男(長女)として生まれると決まってその家がどんなに有名で財があっても、必ず潰れる宿命を負いますのでゆめゆめこの運勢型は忌避されるべきです。

同じ「捨て子の因縁」という運勢型であっても、その結果は様々ですが、まずは“風前の灯”的な生き方をします。
彼女の場合はいじめにあって社会になじむ事が出来ず、ついには我が子まで殺めたが、家康は苦労の末、その後に260余年も続いた徳川幕府の初代となったのです。

名前は金科玉条といって「生きるよりどころ」を暗示し、“姓名の暗号”で解く内容のレールの上をひた走りに走り続けるようになっています。これは昔から言われてきた“名は体を表す”という格言通りで、正に驚異驚嘆といわざるを得ません。

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