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名前はこう解く!

樹門幸宰が様々な事件や著名人を姓名学的な見地から解説する連載コラムです。

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No.15 信玄の知恵袋「山本勘助」 の解説と鑑定結果

姓名判断:信玄の知恵袋「山本勘助」
① 隔世遺伝
父方の祖父からの遺伝 母方の祖母からの遺伝
上下型 一差 順序型 タテ系
② 直接遺伝
父からの遺伝 母からの遺伝

<総性型> 生涯わがまま運

<前行型> 前半ツキ運

<後名型> 名望運

<総先型> 奇跡運

<受セ型> 流転豹変運

信玄の知恵袋「山本勘助」 樹門幸宰による解説

初めて「名前はこう解く」をお読みの方はお読みください。

姓名に潜んだ暗号は祖父母代で発生した隔世遺伝による因果関係である基礎運と 父母代から直接遺伝した影響運で読み解きます。

一般的に「遺伝」というと肉体的な特徴や体質的なものを思い浮かべることでしょうが、遺伝するのは身体的なものだけではありません。 記憶も遺伝するのです。

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姓名に潜んだ暗号は祖父母代で発生した隔世遺伝による因果関係である基礎運と 父母代から直接遺伝した影響運で読み解きます。

一般的に「遺伝」というと肉体的な特徴や体質的なものを思い浮かべることでしょうが、遺伝するのは身体的なものだけではありません。 記憶も遺伝するのです。

悔しい、悲しいといった負の感情は、いつまでも消える事なく記憶に残り、魂に深い傷をつけます。 この負の感情、つまりは無念な思いは直接遺伝で子に伝わり、さらに強い思いとなって孫の代へと隔世遺伝し、何とか思いを晴らそうとします。

この隔世遺伝した無念な思いを読み解いたのが基礎運です。そして、基礎運からは戸籍上にはない子供の数まで含んだ、 真の出生順位までもを読み解く事ができます。

基礎運を例に挙げると、生数は同性親系(男性なら父方の祖父、女性なら母方の祖母)、 和数は異性親系(女性なら父方の祖父、男性なら母方の祖母)からの遺伝によるもので、運勢は和数、つまりは異性親系の影響を強く受けます。

なぜなら、祖父母、父母と二代続けて果たせなかった思いを隔世遺伝した孫の代では性を変える事でなんとか成就しようとするからです。

そして、人は父母の感情の記憶も直接遺伝で受け取っています。これが影響運です。 影響運も基礎運同様、生数は同性親系(男性であれば父、女性であれば母) 和数は異性親系(男性であれば母、女性であれば父)からの遺伝によるもので、和数の方の影響が強く出ます。

この占いは因果応報について語っていますが、宗教とは何ら関係がありません。

前回は保守型を代表する頭領運である「順序型」の姓名構成でありながら、 付帯する影響運に翻弄され、犯罪者となってしまった人物を解きました。
今回はこの運勢型通りの人生を歩んだ人物を解きましょう。

その人の名は山本勘介です。
勘助は武田信玄の軍師で、色は浅黒な醜男で、それに隻眼、脚が不自由だったそうです。
20代で武者修行の旅に出て10年間諸国を遍歴、様々な知識を得ました。その後、今川家に仕官を願ったものの、 その風貌から相手にされず、9年間主君を持たぬまま過ごしました。

勘助が武田晴信(のちの武田信玄)に仕官したのは51歳の時です。 武田家の重鎮、板垣信方の推薦とか、真田十勇士で知られる真田の始祖、真田幸隆の推挙であったといわれています。
晴信は勘助の知識の深さに感心し、深く信頼するようになりました。
旧家臣からの妬み、誹謗もあったようですが、勘助は様々な場面で才を証明、武田家の家臣の誰もが認める「信玄の知恵袋」となったのです。

勘助の基礎運和数・「順序型(タテ・上下系)」 生数「上下型」(一差)です。
基礎運の“型”だけを見ればホームページに子供たちの写真を掲載していた小学校教師と同じです。
が、勘助の姓名の構成(和数)は4子系、祖父母代で分家家系で、末子相の運勢型です。
また、付帯する影響運を併せて見てみると、末子で二男相であることがわかります。

“系”は“型”の特徴が柔らかく現れます。勘助の基礎運の和数は「タテ・上下系(順序型)」ですから、 「順序型」の安定した性格に「タテ型」の合理的な頭脳と「上下型」の実直さや行動力を併せ持つ人物だったのでしょう。
軍師というのは軍を指揮する君主や将軍の戦略指揮を助ける職務を務める人物、つまりは参謀役のことです。
物事を多角的にとらえ、総合的に判断することのできる「順序型」はこの参謀役にぴったりなのです。

人は自分の欲を最優先して物事をまとめようとするものです。
また、若いときから頭角を現す人は、目的をストレートに貫く強烈な個性の持ち主が多いものです。
しかし、この「順序型」の人は周囲の状況を充分に考慮し、無理をしてまで改革したり、自分の思いを遂げようということはありません。
常に周囲に気を遣い、慎重かつ円満に物事に対処していくのです。
ですからどうしてもスタートは遅れがちで、年齢を重ねるうちに自然と人望が募り、多くの人達から慕われ、大きな存在となるのです。

武田家に関する資料はほとんど残されておらず、戦略・戦術を記したとされる「甲陽軍鑑」という軍学書に関しても著者は不明とされています。
この「甲陽軍鑑」には史実と異なる不確定な要素が多く、歴史書としての評価は低いものです。
この「甲陽軍鑑」にしか登場しない「軍師・山本勘助」は架空の人物であるという説もありました。

近年、武田信玄の書状、「市川文書」の発見により、「やまもとかんすけ」という人物の実在は確認されましたが、 この書状には軍師ではなく、伝令将校のような役割を果たす人物として記載されており、名前も「山本管助」となっています。

武田信玄の伝説的軍師であったとされる「勘助」という名前に対し、 伝令将校であった「管助」の基礎運(ベース運)は和数「ヨコ型」(一差)生数「順序型(タテ・ヨコ系)」で、記憶力に優れ、プライドの高い性格であるという名前です。
伝令将校というのは文字通り、伝達事項を口頭で伝える役目を担うわけですから記憶力は大変重要です。

また、主君に信頼され、力量と識見がなければ務まらない役目です。
また、伝令将校「山本管助」も伝説的軍師「山本勘助」と同じ次男相の名前です。
名前の画数が変わっても同じ「魂の出生順位」で、歴史の中でそれぞれ名前通りの役割を果たしたとされているとは不思議なもので、 まさに「名は体をあらわす」の証明となります。

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